2011年12月27日火曜日

「悪徳ゲーム」に対する投稿まとめ

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過去に自分が「悪徳ゲーム」についてGoogle+に投稿/コメントした内容を転載します。

"ソーシャルゲームの本来のソーシャル的な友達とのやり取り的楽しみを根ざした比較的ヘルシーなソーシャルゲームは、それはそれで良しとして、そうではない催眠商法まがいの"それ"は、悪徳ゲームと呼ぶべき。いや「ゲーム」という神聖な言葉も汚したくないので、ただの「悪徳商法」と呼ぶべき。"

"ゲーム的な純粋な"楽しさ"を提供しているものはヘルシーな経済だと思っていますが、その"楽しさ"的なものや射幸心をあおるような形で銭を"際限なく"巻き上げるというスタイルを"悪"だと言っているのです。そんなものは経済でも富でも愛でも何でもないです。"

"悪徳商法に限らず、すべての経済活動や商取引は、何らかの人間の欲や習性に、ある種"つけこんで"いるわけなので、その主張によって「悪徳ゲーム」も「一般ゲーム」も双方とも悪、もしくは悪ではない、という判断は出来ません。また、裁判にて罪の重さが決められるとき、被告の犯行の意図や、どういう意思に基づいて行った行動なのかということが、罪の重さを左右することがよくあると思います。これと同様に「同じ「ゲーム」という体裁したそれが「どういう意思によって作られているか」」という基準で私はそれに愛を感じたり、悪を感じたりします。「悪徳ゲーム」からは「銭を巻き上げる」という意思がひしひしと感じ取れるので嫌悪感と共に"悪"を感じます。"

"金が回ること自体が"善"だとすれば、ヤクザも詐欺師もお金を回しているという点で"善"ということになってしまう。経済の本質はお金が動くことなんかじゃなくて「誰が誰のためにどう動いて何を生むか」だ。つまり「愛」。いわゆる「悪徳ゲーム」は、愛のかけらも感じられない。"

"「ソーシャルゲーム」っていう名前自体は、もともとは「非同期オンライン的に他人にちょっとした干渉が可能なゲーム」というような意味合いで使われていたので、フリーミアム的悪徳催眠商法的ゲームに対して使って欲しくない。悪徳の方は悪徳ゲームって呼んで欲しい。"

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