2011年11月30日水曜日

ゲーム作品を発表する魅力的な場が必要という話

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自分のGoogle+の過去から転載。
https://plus.google.com/102285522680170563800/posts/5i9k9UQXbvz?hl=ja

フリーゲームには、作り手も遊び手も知っている発表の「場」が必要なんじゃないかな - 平凡なエンジニアの独り言

ーマガは「場」として魅力的だった。それは、自身がベーマガを読み、その中身から「他にベーマガを読んでいる人」「他のプログラム投稿をしている人」「編集者/記事を執筆の人」などの多くの人が投稿したものを見るという意識が強く感じられるからである。

Web時代が拓けてからは、そういった「場」の提供が盛んになり、確かに「場」は増えた。しかし「場」が分散してしまったために、そこに参加している人ももちろん分散してしまっている。

参加している人数以外にも、その「場」自体に、たくさん人があつまっているということが意識できる仕組みがあるかどうかも「場」としての魅力に関わってくる。ニコニコ動画が流行ったのも、あの画面中に流れるコメントによって「ここに投稿すればみんな見てくれる」という意識が芽生えたからこそ(実際に多くの人が見てくれるかどうかは別として)、そこで作品を発表する意欲が増す。結果、良質な作品が集まる。

時代はソーシャル時代になり「おもしろいコンテンツ」の情報はソーシャルな仕組みを通じて広まり、その作品がどこで発表されたものなのかということはあまり意識されなくなった。これまで発表の場という縦軸に対して人が群がっていたのに対して、今はソーシャルという横軸が串刺しになっているのである。

もはや、作品がどこに投稿されたかというのは重要ではなくなった。どこの動画サイトに投稿されたものであろうが、おもしろい動画は人気が出る。ゲームであっても、個人Webページに何気なく置いたものであっても、今ではソーシャルの仕組みによって広まる可能性は充分にある。

しかし、作品を作ってきた人がこれまで目標としてきたような魅力的な「場」という存在はどうなってしまったのか。ソーシャルという仕組みは「作品発表者にとって魅力的な場」になりえているのか。個人的な感想から言うと、なっていない。

「場」には、発表の形式/フォーマットが存在している。今現在、ソーシャルの仕組みを使ったゲームの発表についてはフォーマットは存在しない。Twitterであれば「○○ゲーム作りました。遊んでください→URL」と書くだろうか。それに100人以上群がるか

ソーシャルの仕組みによってあふれた情報を、さらに分類/集計などしてまとめたサイトが増えてきている。これだ。これこそ新しい軸。奥行き方向の新しい軸だ。縦軸の「場」によって発表された作品が、横軸のソーシャルによって情報が串刺しになり、それが奥行き軸よってまとめあげられる。

そういうことだ。誰か縦軸/横軸によって発表されたゲーム作品の情報を、美しいフォーマットによって奥行き軸でまとめあげるサービスを作ってくれ。それが作品発表者としての魅力的な作品発表の「場」となり、良質なゲームを創出する意欲へとつながる。魅力的な「場」は、魅力的な作品を生み出す。

詐欺と搾取のクソ擬似ゲームコンテンツ社会をぶっつぶしてくれ!!!